mathichen独話【Hatena版】

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戦火の下に始まる家族の肖像


1971年、南ヴェトナム・サイゴン支局に赴任
ひょんなきっかけから、下町の長屋生活を送ることになり、やがて家長であるナウさんと結婚する展開に
ともに再婚。ただし、近藤氏は若くして妻と死別、姉さん女房ナウさんはバツ1で娘を連れていた

娘ミーユン(通称ユン)は、日本移住当時、13歳。中学1年生年齢
しかし、言葉通じない異国の世界に冠たる詰め込み教育は、サイゴンで受けた教育水準では到底追いつかない
外国系の学校へやると両親は決め、娘は「フランス語がいい」と母国の旧宗主国系リセを選択
語学力ほぼゼロなので年齢より2つほど下の学年から始めた

学校好きで勉強熱心ながら、語学力難に加え本国フランス知らずもあり、なかなか年齢相応水準に追いつけず
父親のバンコク赴任などから学校環境の変化も加わり、留年も何度か経験、無事卒業できたのは何と23歳近く
フランス本国留学での結果、長年家族ぐるみでの知人である止宿先の家庭から、「長男ピエールの嫁に」
すぐにではなく、奇跡的取得のヴァカロレア資格による大学生活を堪能後

ナウさんは、「大学はいくつになっても行ける。登録だけして、お前の好きな職業の訓練受けなさい」
ヴェトナム有為変転を生き抜きながらも、無学の哀しさを実感していたナウさん
結婚しても、離婚や夫が倒れて働けなくなるかもしれない際を考え、生活力を持たせなければ
「ピエールのお給料だけでやっていけるのに…ノンビリ大学行かせましょうよ」と反対する未来の姑と正反対

ユン自身は?
成人するまでは親には絶対服従のヴェトナム式スパルタ教育の成果。「秘書学校に行きたい」
「私立だけどおカネそう高くないし、ここの資格証を取れたら、高級秘書の道もあるんだ」
娘の意志なら、どこまで本気かイマイチであっても、何の異存もない。両親は賛成した

近藤氏は、1986年に45歳の若さで亡くなりました
ユンがほぼ希望通りの将来を手に入れられる直前に
死の3日前、病床訪れた友人にユンを「俺の一人娘のミーユンだ」

ナウさんとユン母娘は、現在フランス在住
ユンは、3歳下のピエールと結婚、男児をもうけ、立派なキャリアウーマンでも
ナウさんは、娘の留学時に亭主のカネで衝動買いしたパリ13区のアパルトマン暮らし
それもこれも、近藤氏の愛情の賜物
ナウさんはヴェトナム統一以前に国外へ移住のおかげで、家長の務めである親族への仕送りに困らず
ユンは、サイゴン下町では夢のまた夢にすぎない高等教育を受けられ、憧れの欧州で良縁に恵まれた
『日本から来た夫と父親』の存在なくしては叶わなかったお話