mathichen独話【Hatena版】

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深き淵への光明を道標に歩く

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                                             ‘羊たちの沈黙’(1991年)
 
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                         ‘デッドマン・ウォーキング’(1995年)
 
『鉄格子間交流』を描くこの2作品のもう一つの共通点をご存知でしょうか
 
どちらの作品にも、実在の人物を描いた、もしくは、下敷きの一つにした人物がいることです
前者は、シリアルキラー最大級のヘンリー・リー・ルーカスと、刑務所のボランティア女性クレミー
後者は、無罪を主張する死刑囚マシュー・ポンスッレットと、修道女ヘレン・プレジャン
 
前者のモデルについて
レミーは、敬虔なカトリック。囚人たちの世話を献身的に行い、『シスター』と慕われていた
彼女の最大の関心はというと、最厳重監房に閉じ込められているヘンリー。彼にも神の救済を与えねば
刑務所長も囚人も『シスター』の身に危険があってはと、接触禁止命令出されるも
クリスマスの夜、クレミーは監視の目を盗み、ヘンリーに一冊の聖書を手渡すに成功した
この瞬間から、両者に強い絆が、ヘンリーには洗礼を受ける決意が生まれ
再度の監房への忍び込みに成功したクレミーにより、ヘンリーは受洗を
鉄格子の間に手を差し入れ、コップの水をヘンリーの頭に注ぎ、額に十字を書くだけの、ごく簡単な儀式ながら
ヘンリーは生まれて初めて神に触れたのだと信じ、ダンマリに近かった罪科を自白するに至っただけでなく
州公衆安全局が『ヘンリー・ルーカス特別捜査班』の正式メンバーとして、ヘンリー自身を任命したほど
その長年に渡る幅広い犯罪歴を活かした『殺人データベース』として後世を送ったヘンリー
 
思うに
 
犯罪歴持たずとも、何らかの過失は誰にも見られます
成功するかはともかく、反省して改善を試みればよいのです
口先では自分の責任だからといいながら、普段の行動や生活ぶりに疑問点感じられる場合や
一見、再生し、社会的に問題ない場合であっても
回心的改心でない以上、生涯に渡って決して平安を得られないでしょうね
 
悔い改め、神さんでなくとも神的諸事を信じることによる恩恵
これは、世間的に立派、悪人のどちらにも適用されますが
悪人ほど悔い改めやすいのは、自身と見つめ合う余地あるおかげだと思います