mathichen独話【Hatena版】

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神の子誕生は貧しき民の中より

死にかけのゾンビ状態の中、昔々からどーしても気になっていた事を考察したまとめ





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アルバン・ベルクの歌劇‘ヴォツェック’
1990代後半、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場の舞台
映画監督・俳優としても知られる舞台演出家パトリス・シェローが手がけたプロダクション
1997年11月には、横浜でも上演された(題名役は↑のおっさんでなく、若ハゲ




何が気になるのか?




貧しい床屋上がりの兵士が、鼓手長と通じた内縁の妻マリーを殺すという陰惨な内容の物語
台本読むと、ヴォツェックとマリーが知り合ったのは、「3年よ、聖霊降臨節で…」
( * ベルリン演出では、「7年よ、聖霊降臨節で…」。どっちが正確やねん?)
4年の違いは大きいぞは置き、二人の間に生まれたという子供(息子)はまだ幼いには違いない




が、しかしだ
ベルリン演出では、どう見たって14,5歳の中坊、デカイのが登場する
そこで思ったわけよ
「息子は配役表では、『マリーの子供』と紹介される
果たして、本当に、ヴォツェックとの間に生まれた息子かしらん」




第一幕第一場、大尉の部屋、早朝
「お前ら、教会に行ってないだろ」。正式に結婚しないで女に子供生ませたを非難する大尉
黙って聞いていたヴォツェックだが、「自分のような貧乏人は道徳的に子供を作れといわれたって無理ですがな」




これだけなら、内縁でも若いうちに子供作らな、老々介護に終わるだけの末路を心配してと取れる




第一第三場、マリーの部屋、夕方
マリーが子供をあやしていると、ヴォツェックがやってきた
「すべては灼熱の中に燃えた。すべてが真っ暗だ。そいつは町の入口まで俺の後を追ってきた」
とケッタイな事を口走るので、マリーが落ち着かせようと子供を抱かせようとするが
ヴォツェックは子供を見ようともせず急いで立ち去る




マリーは息子を突き出して、「この子、アンタの子だよね」
何かね、必死な感じするのよ
「アタシがどこかで仕込んだ子供だけど、俺の息子だと公認してくれたよね」
ついつい意訳してしまった




第二幕第一場、マリーの部屋、朝
マリーは子供を膝の上に乗せ、鼓手長に貰ったイヤリングをつけ、上機嫌で鏡を眺めている
それを見たヴォツェックは、「そこにしているのは何だ?」。マリーは「拾った」と嘘をつく
納得出来ないヴォツェックだが、マリーに大尉と医者から貰ったカネを渡して出ていく
マリーは自分が悪い女と責める




無教養で何の取り柄も持たないのは、マリーもヴォツェックに負けず劣らず
持っているのが後ろ暗い過去であったって、金満小娘がフシダラ働くよりは腹立たん
ヴォツェックは貧乏人互助会精神から、一緒になり、マリーと子供のために人体に鞭打って実験台じゃァね










第三幕第五場、マリーの家の前、朝
子供たちが遊んでいる
そこにやってきた子供が、木馬に乗って遊んでいるマリーの子供に「君のお母さん死んだよ」
子供たちはマリーの死体が置いている池の方向へ走り去る




マリーの息子はその後、どこ行っちゃったんでしょうね
無事に大きくなったとして、成人後はひょっとして、伝道師?