mathichen独話【Hatena版】

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近くて遠い隣人

寝る前でなく、起きた時にクタビレている。これがほぼ毎日ざます(溜め息)
今日なんか、昼過ぎ少しゴロリ横になったら、いつのまにやら夢路へ




ま、そりゃ挨拶代わりとしてアクビとともに置き




日本とお隣さんの韓国、相変わらず領有権でモメてますな
領有権の件はわからんと放置して
話し合いの余地も相変わらず無い、溜め息出るわの両国関係ですかね




日本は加害者であると同時に、世界初の被爆国という被害者でもある、何とも複雑な立場にいるため
日本と韓国に付き物である、戦争なるもの、日本人はどんな視点、どのくらいの重さで見ているのか?




池田理代子先生の初期作品に、‘真理子’(1970年)という短編がある
短編集は納戸の中、取り出すのシンドイ
あらすじを書いたブログ見つけたので、URL付きでお借りします





真理子は生きる楽しさだけを知っていた普通の女子高生。
彼女の家庭教師として雇われた大学生の大河は、
なぜか学校の勉強より社会情勢や原爆のことを教えようとする。
そんな大河に反発する真理子だったが、
クラスメートの篠崎が原爆症でこの世を去ったことをきっかけに、
戦争のもたらす悲劇・社会に生きる人間としての責任について考え始めた。
そして大河と互いの恋心に気付いた矢先、
彼は「出会わなければ良かった」との言葉を残して真理子の元から去ってしまう。
そして冬が訪れた頃、大河からの手紙と共に真理子の元に悲しい知らせが届いた・・・。

http://reigh23.blog24.fc2.com/blog-entry-70.htmlより引用 )





真理子は物語の最後、大学生になっていたと思う
時代的に見て、団塊世代
戦後生まれであり、恵まれた家庭環境もあって、平和ボケ少女であったのが
大河との出会いにより、ボクサーの夢断たれたのみならず、早世の恐怖におびえる彼を知るにつれて
少しずつ反戦や社会問題に目覚めていった
しかし、大河や同じ境遇にある者、その支援者を見る世間の目は厳しい
戦中世代である真理子の母親など、そりゃ戦時下の「欲しがりません。勝つまでは」の生活は厳しかったろうが
大本営発表を鵜呑みにし、戦地の現状を見てもいない小娘だったくせに
「戦争を何も知らないくせに。お国のためにね、皆苦労に耐えていたのよ」と上から目線で
真理子からの質問、「戦争起きたら、お母さんたちは守ってくれない。じゃあ、誰を信じれば?」にビンタで答え
大河が街角で反戦活動のビラ配っているのを見て、「悪影響だ」と家庭教師を解雇してしまった
もっとも真理子はすっかり回心していた。最後には、大河の無念晴らすべく、ビラ配り他の活動を受け継いだ




アタクシが初めて読んだ1970年代後半か1980年頃から数年後、こんな実話がある
米国の大学寮で、日本人と韓国人の留学生がルームメートになった
お互い好きとか嫌いとか以前に、一般市民の両国往来がまだ少ない時代とあって、話し合いの好機だ
と思った韓国側が、「アンタの国とウチの国との間に起きたことやねんけどな」と持ちかけると
ボケ~としていた日本側は、「へ?何かあったん?全然知らへんわ~」
四半世紀ちょい前の大学生といったら、1960年頃から数年間に生まれた世代であり
団塊世代ですら意識や勉強に不足しているんじゃ、以降の世代は無理ないとはいうものの
この世代が、2012年現在、先代からの受け売り差別やってる小娘青二才の親世代かと想像すると
あまりの学習能力欠如に、頭痛通り越して厭世気分に陥るちゅうねんッ










「複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、
さまざまな謎や疑問を徹底的に­解明する探偵ナイトスクープ
私が局長の西田敏行でございます。­」
と、アタクシが局長代行のmathichenさんでございます




1999年か2000年、北野誠探偵が例の打ち切りラジオで、ナイトスクープでのロケ話




「日本人の学友を探して下さい」、韓国・済州島から依頼が届いた
済州島って地理的に邪魔するモノが日本海側に無いので、九州北部のTV放送がバッチリ受信出来るのよ
依頼者は、戦中の学友を懐かしむ、当時70歳手前の男性。郷愁にお応えせなアカン
探偵局は依頼を受け、誠探偵とスタッフは韓国へ飛んだ




ロケ話はTV放送前に聴いたので、アタシは放送日、誠探偵の話を確認する格好で観たんやけどな
誠探偵と同じく、途中で複雑な心境に陥ってしもた…




依頼者の母校を訪れ、古い学生名簿を見せてもらった時、誠探偵は「日本名ばかりですね~」
創氏改名を忘れていたのよ。まぁ忘れるは知っていると表裏一体、知らんよりは上等やと素通りして




その前に
「オレらの親の世代って、すぐ戦争持ち出してズルイねん
経験してへんくせにとエラソーに言うけど、戦争なんて、経験する気あっても、もう経験しようあらへんがな」
1958年生まれの誠探偵が、真理子に通じる感想をラジオで述べましたを追記して




ロケ班には無論、韓国語通訳が入っており、依頼者も日本語通訳を頼っていた
が、現地のジジババは皆、堪能な日本語で話してくれるのを見るたび
誠探偵は内心、「胸中では複雑であろうジジババに、気を遣わせてしもた…」




アタクシの場合、依頼者の心境が気になった
通訳に頼りながらも、誠探偵たちの日本語は明らかに理解している様子
日本のTV番組に依頼文送るくらいだから、日本語忘れていないわな
語学って読み書きと会話は別物であり、通訳に頼ったのはたぶん、会話力は長年話さずサビついている?
の他に、サビついていなくても、日本語話すことに少しは躊躇したんじゃないか?




過去の悪感情をいまだ持っていたとしても、占領下に仲良くしてくれた日本人の友だちへの想いまでは消えない
緊張がほぐれるにつれてやろね、依頼者は日本語で話すようになった
最初は少し訛って硬かったが、話しているうち抜けてスムーズになり
3人か4人見つかった学友とミニ同窓会のため、大阪を訪れた際には、完全無欠の日本語を駆使し
半世紀ぶりの再会を喜んでくれる学友たちと、ニコニコ嬉しそうに旧交を温めていた




ニコニコした韓国爺さんといえば




韓国南部は九州と船で往来がたやすく、日本への移住者と観光客は昔から多い
ある営業マンが、大分の温泉地に泊まったら、旅館のエレベーターで韓国爺さんと乗り合わせた
「何が驚いたいうて、爺さんがニコニコしながらオレに頭下げたことや
韓国だけでなく、大陸の老人が、年長者が若いもんに頭下げるなんて考えられんやろ~」
温泉浸かりに、日本にお邪魔させてもろてます~とのご挨拶かは知らんが
韓国人の多くは日本語話せるかに関係なく、人間同士話し合い出来るだけ懐深いという証明ちゃうかい~




(追記)




日本は世界でも希少な、植民地にされた経験持たない国ですが
(実際は、そうじゃないと思う現代日本、その理由は長くなるので割愛して)
さればこそ、踏みつけにされた痛み知らない故に、先代からの刷り込みによる不勉強も加えて
「そうだ韓国に行こう」と、週末に軽く飛んで遊びまくれる恩恵に浴しながら(ある意味、相手を利用搾取しながら)
近隣諸国に対し、「話し合いの価値無い国だよ」と、クソ生意気この上無い何様目線で語れるんですよ
日本の食自給率低いの何のその飽食小皇帝どもが、恥を知りなさい