言の葉の一葉が分水嶺
3日連続でアメブロ別荘にて入魂の芸術記事
4日めもと思いましたが、ここYahoo!内別館にてヒッソリ(何で?)
ジュゼッペ・ヴェルディ大先生作曲♪椿姫の第二幕と第三幕より
アルフレード本人には悟られぬような別れを告げ、パリの喧騒へ戻った
やがて病の床につき、自分の非を詫びるジェルモンからの手紙を毎日読みながら、恋人の帰りを待つ
これらの場面について
「羽ペン使っての手紙だと、インクの滲みやかすれも所々あるはず。そこに、人の想いをあれこれ感じる」
現代的な文房具やPC・携帯などでは至難の領域だという意見があります
昔々の人たちは、手紙も日記も著作も、すべて羽ペン使っての手書き
400字詰め原稿用紙1枚に苦労した中途半端な古代人であるアタシや
140文字制限とはいえ、「○○なう。学校から帰って、これからマクド♪デート(はあと)」ないまどき人種には
次のビッグバン来ても到達出来ない崇高なる世界ですってば
歌劇における手紙といえば
チャイコフスキーの♪エフゲニー・オネーギン第一幕、『タチヤーナの手紙の場面』
片田舎の文学少女が、都会の青年に一目惚れ、夜中に恋文をしたためた
結果は…空振りどころか軽いお説教までとションボリ
それだけに
若い日々をおバカな年寄りに奪われ、遺産もらってもすっかり厭世的なオネーギン
友人を決闘騒ぎで失い、数年後に旅人生活から戻って親戚のグレーミン公爵を訪ねたら
タチヤーナが公爵夫人として社交界の花形に輝いていた
野暮ったい田舎娘が…どこに目をつけていたんだ?
彼女のご陽気な妹なんかよりも生命力を感じる、そう評したのは俺じゃないか
惜しい!
タチヤーナはというと、オネーギン再登場に動揺を覚えた
恋人を決闘で失って泣きわめいた妹がもう笑った、あっさり他の男の求婚を受け入れたがために
母親からせっつかれ、見初めてくれた倍くらい年上の公爵と結婚
公爵は優しいけれど、本当は、以前通り本棚のある部屋で、出来れば…いまも、根は田舎娘のまま
タチヤーナ、オネーギンは赤い糸に結ばれながら
男の読解力無さのせいで歯車が狂ってしまったわけ
この映画では確か、今度は彼が手紙を書き、待てど暮らせど…のはず
ところで、ロシアのある歌劇場演出には興味深い演技が見られます
「もうお別れよ!」と部屋を立ち去るはずのタチヤーナが、彼と抱き合ったまま
これは、プーシキンの原作による解釈でしょう
原作最後の場面はあいまいであるものの
二人のいる部屋の外に、公爵のものらしい足音が聞こえ…の後は、読者の想像に任せる形
決闘を暗示しているとは思います
…で、アタシの妄想モードが発動するのですな
オネーギンの歌詞最後は、「何たる恥辱に満ちた運命よ!」てな意味合い
彼とタチヤーナが『運命のカップル』なら、彼女にも恥辱の分担となるのが自然
公爵は離縁したりはしないでしょうけど、彼女は終身介護刑を食らった気分の余生?
決闘に敗れるのが公爵としても、タチヤーナとオネーギンは昭和枯れすすきっぽく?
ま、アタシの妄想なんて「あら、そう?」と横へ置き
Addio del Pasato(さらば過ぎし日よ)の映像には、時計が舞台上にデン!と
刻一刻と命の尽きる時が近づく、もう針は巻き戻せないなど、様々な解釈出来るでしょう
ひょっとして、第一幕から黙役も兼ねている医者爺さんの回想録?
時計の扱いが何にせよ
手紙が希望を奪ったり改めてもたらしたり再度奪いそうになったり、そんな気がしてなりませんけど
従って
いまどき人種の皆様、つぶやき実況中継も結構ですがね
想いや伝えたいことが行き違いにならないだけの文章力と説得力を
藁半紙と鉛筆と消しゴム使って修業してからをオススメしますぞ