mathichen独話【Hatena版】

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大人にも事情あるは判ってくれない

The final sequence of "Les Quatre Cents Coups" ("The 400 Blows") 1959 directed by François Truffaut



フランス映画‘大人は判ってくれない’(1959年)の幕切れ場面ですね
主人公アントワーヌ少年は、母親の連れ子(両親が夫婦喧嘩中のセリフに聞かれた)
母親は息子さえいなければ自由になれたみたいに考えるシングルマザー上がり
鑑別所で、「ここが似合いだよ」、冷たく言い切る母親に、息子は吹っ切れたのでしょう
脱走した。駈けた。『自分の人生』を獲得すべく



結局ダメ男の部類に終わるアントワーヌ、その後のシリーズから判る
ただ毒親とまでいかずとも子供に関心無い母親から解放されたのは、正解



毒親・・・世間は理解してくれない』
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/1214/281874.htm?g=06



トピ主さんの書かれた
「今年亡くなったある芸能人さんの娘さんが
要介護になった親を一度も訪ねず、葬式にも来なかったと
親戚の方が非難がましく言っていたようですが
私はその娘さんの気持ちがわかります。」




元女優の花園ひろみは元夫人で、元女優の南夕花は長女。花園ひろみには車に同乗させて湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ!」と結婚を迫ったほど深く愛し、それに自信を持っていた。花園とは結婚と離婚を2回ずつしており、2度目の離婚後もバラエティ番組で『再婚の可能性は』と聞かれ「50%だね」と冗談めかして答えたことがある。また、娘を溺愛し、自らの司会する『新伍のワガママ大百科』に起用したり舞台で共演し、「僕の家族は山城教だ」と語るなど家族の結束に強い自信を持っていたが、南は離婚後の2000年『婦人公論』2000年6月号のインタビューで山城新伍に絶縁を宣言、籍を抜いた。

生前の山城の女性関係は乱れに乱れたものであったらしく、結婚記念日や娘の誕生日に、家族でよく利用する料理店で浮気相手と会食することはざらであり、長者番付に顔を出すだけの稼ぎがあった時期に、愛人へ貢ぐために娘の学資保険の積立金に手を出し全額引き出す、娘の友人の同級生と知りながら半ば強引に肉体関係を結ぶ、などの行為があったことを娘によって暴露されている。

Wikipedia:『山城新伍』より引用 )




娘は最終的に、「いままで好き勝手にやってきたんだから、これからも好きに生きていきなさいよ」
世の濡れ落ち葉爺さんと違い、家事は出来て日常生活には困らなかったものの
60歳過ぎて独りボソボソ一人飯は侘びしく、刺激の無さが急激な老化へとつながった模様
100%自分の思い通りに生き、周囲を自分に合わせよう、だったら当然払うべき代償なんですけどね



「子供さえ犠牲になればよい」と考える人たち
『普通じゃない人』が野放しでは、いつ自分たちに危害を加えてくるかわからない
つまり自分たちの生活を守るために、『普通じゃない人』の監視をさせたいだけ
『普通じゃない人』の今後の事を責任取ってくれる存在に逃げられると困る
親戚も民生委員も必死になって、親子の絆を盾に罪悪感を持たせてつなぎとめようとしている
「家族を見捨てた卑怯者」呼ばわりをする
その人たちは常に長いものに巻かれたがっていて、自分の考えを大して持っていない
分析能力が無く、グレーゾーンが飲み込めない。いざとなったら責任転嫁
「・・・というものは・・・」をよく言う
家族というのは、男というのは、女というのは、etc.



「自分(人によっては、神仏+)以外は完全別人格であり、全て他人」がわからない、残念な低民度国家
それが、日本。親子とは何ぞやを生物学的見地にだけ求める、前世紀的な血縁幻想を抱き続ける、残念な国
それも無論わからない、幸福な者という名の裏を返せば無慈悲な輩に、何が判断出来るというのやら?



ま、幸福な者とやらにも落とし穴は待ち構えている、そこに改心を願いましょうか
介護要員として子供を何かと縛りつけた挙げ句、中年ニート食べさせる老親てな感じで
子供を束縛しているように見えなくても、結果的に子供の人生を破滅させた、いくらでも例見られますよ
30歳過ぎてお泊りじゃ同棲じゃと貞操観念ゼロな独身生活送っているようなバカ者どもが子供の場合
欲望の塊モンスター育て上げた因果応報と諦めてもらう必要ためにも、親子共倒れして下され
負のDNAを後世に残す根源を絶てて、清々した空気が吸えますわ