mathichen独話【Hatena版】

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親心のかけ違い、子の心親知らず





‘人生は長く静かな河’(1988年)
信心深いブルジョワ家庭、ド貧乏アナーキー家庭、両極端な二つの家庭において
12年前、同じ日に生まれたブルジョワ男児アナーキー女児が、看護婦の手で取り換えられた
真実を知らされた両家庭の反応は?
ブルジョワ家が娘を手元に置いたまま、実子である息子を養子という名目で引き取った
この息子というのが実父の血を感じさせる高い知的水準ながらも
実母のダラシナサを受け継いでいるものの潔癖症ブルジョワ娘が真実を知らされグレたのとは大違いで
「金持ちのガキをつかませやがってぃ」と剣呑なアナーキー家族を「儲けになるよ」とそそのかし
保守的なフランス上層中流家庭の典型を崩壊へ導いていく




生みの親より育ての親とはよく言ったもの
実際に起きた赤ん坊取り違え事件でも、子供は育てられた環境に馴染んでいるは見られる
取り違え起きた両親にすれば、育てた子は可愛いが、実子への未練も断ち切れない
逡巡の後、子供を交換する
中には、二家族同居し、不条理といえる別離をせずに済むケースはあるが
両家の知的水準がかけ離れていると大変だよ




1970年沖縄に生まれた少女二人が、小学校入学後の血液検査から取り違えが判明
両家は何ヶ月か交流ののち、娘を交換した
病院での取り違えは大抵、里帰り出産は別にして、同じ地域内かさほど遠方でない二家族の間で起きる
ちょっとバスに乗れば、『おうち』へ帰れる。子供にすれば、他府県への交換より心理的に複雑に加え
実父が「自分で名付けしたい」と言い出し、慣れた名前ハツコを変えられたマチコも気の毒だが
「親に教育無いのって、惨めだよ」、実家の環境に呆れたミツコはもっと気の毒だった
ミツコの実両親もマチコの実両親同様、貧しい生まれで、教育も高校出るのがやっと、大差無いものの
マチコの実両親はそれなりに子供の教育熱心、ミツコも影響を受けたのに対し
ミツコの実両親は学歴はともかく向上心というものが見られなかった
ミツコの実父はそもそも、本命の彼女いるというのに、ミツコの実母ナツコを孕ませてしまい
彼女の母親から「授かりものだから」と泣きつかれ、早い話、出来ちゃった婚に追い込まれちゃった
何が悪かったって、ナツコは4人娘生んでもほとんど家事育児放棄でフラフラ遊び歩く、永遠の小娘だったこと
(後年、ナツコの母は出来ちゃった婚が如何に無責任で愚かしいかを痛感、娘の結婚を亡くなるまで悔いた)
マチコが養家に出かけ、ナツコの不行状を目撃したくらい
(これで育ての両親への未練吹っ切れたようで、実母に「お母さんがいてくれて救われた」と感謝した)
ナツコの姉、ミツコから見て伯母さんが、子供抱えて困る義弟を見かね母親代わりしてくれたまでは良かった
だが、義弟とねんごろになり、息子まで生んだのは?
ミツコはいざとなれば、途中から二家族同居もあり、育ての両親を頼れる。妹たちには、母親はいないも同然
ミツコいわく、「伯母さんの存在は、妹たちにとっては必要だった」
が、ただでさえ馴染めない実父に対しては、年頃の娘としてはねぇ…
沖縄は男系地縁社会であり、ようやく息子得られて家督譲渡などの面で安心も見えたら、不信も募るでしょ
父親は彼なりに、ミツコへの想いは深かった。しかし娘には通じず、恩讐の壁は越えられない
ナツコが誰からも見限られたもあり、ミツコは結局、『マチコと姉妹』、育ての両親にだけ親子の情を抱いた




1970年といえば、翌1971年に英国映画‘小さな恋のメロディ’
トレーシー・ハイドちゃんは当時、日本で人気爆発
古い映画雑誌を見ると、家族で撮った写真載ってる。両親と妹の4人
妹ザハラちゃんは養女。たぶんパキスタン系。白人家族の中でも全然違和感無かったけどね
そういえば、日系を誇りにしている米国フットボール選手スコット・フジタ、彼自身は生粋の白人
自分を闇に葬らず生んでくれた18歳くらいの白人少女には感謝しているが
養子に迎えてくれた日系男性フジタさん(フジタ夫人は、白人)とそのご先祖様が、自分の存在意義だ




30年近く前、ドリュー・バリモアがアホな両親を訴える映画があった
離婚訴訟にキリキリ舞い、醜悪な親権争いに、ブチ切れた娘が家政婦のオバちゃんと暮らす権利要求
両親には週末の面会は許され、謙虚になって娘と会うのを楽しみに来るものの、覆水盆に返らず
それでいいんじゃないの?
子供は親を選んで生まれて来られないが、子供に利をもたらさない親は切り捨てる権利は認めてもらわんと
遺伝子の影響は見られるかもしれないとしても、誰を親と慕うかの心は別物だ