mathichen独話【Hatena版】

Yahoo!ブログ別館の保存庫

冷戦と情熱の破片、そして鎮魂歌

イメージ 1





この本には、2人、トルコ人男性と結婚した日本人女性が登場する




1人は、ウエイトレスという仕事柄、トルコ出張してきた日本人男性と話す機会多い
彼らの何が嫌らしいって、「アンタやったら、エエ男はナンボでも見つかるやろ」
日本人の言うエエ男(女)なんて、あくまで日本人視点でしかないやろ
要するに、トルコを後進国と見下しているだけ
「ウチの夫は、米国系企業で働いてます」、その一言で安心した表情、それ見てもお里の悪さが一目瞭然




というか、経済大国意識に満ちて以降の日本人に
コンピューターを発案したのは、ユダヤハンガリー
米国が半導体を作り、現在のコンピューターの基盤確立させた
日本のコンピューター技術はあくまで、小型化させた辺りが主体であり
コンピューター文化は日本の専売特許でなく、他文化の上に成り立つ、世界共同作業
わかるのかしらん。わかんねえよな~




もう1人のトルコ在住日本人妻は
「この国には、兵役がある
それが良いかどうかは置き
責任感持つ優しさが、この国の男性にはある」




映画監督オリヴァー・ストーンいわく
「もしも米国が1960年代、中流以上階級を問答無用でベトナムに送り込んでいたら
米国を襲う地獄に気づく世の父親や母親は多く、あの戦争はもっと早く終結したろうね」
ストーン自身、ニューヨーク中流以上階級出身
ただ彼は、忠義無双の米国市民として
1965年、まず英語教師として、サイゴンに渡り
その後、他の中流以上のような、医者に鼻薬効かせた診断書を入手したりして徴兵逃れせず
志願兵として、徴兵逃れしたくても出来ないビンボーな面々と同じく、地獄の戦場に赴いた




アタクシが、団塊世代やその周辺の、学生運動世代嫌いの理由として
運動組と距離を置き静観していたジジババ連中いわく
「日本は米国を始めとする兵役課せられる国と違い、『逃げ場があった』
そのくせ、社会改革目指した云々とエラソーな達成感に満ち、我々や若いコの話聞かん
闘争の最前線でカラダ張ってた連中は、それが正しかったか否かは置き、まだ評価出来るが
後方で遠吠えしてたような連中は、結局手の平返し、企業戦士としてカネの亡者みたいなのおるしな」




‘「在外」日本人’に登場する、在プラハ半世紀以上、チェコの仙人みたいになっちゃった小野田勲氏
1968年、激動のプラハで、集会を駆け巡るにも、全財産2000ドルと日本のパスポート肌身離さなかった
そのことだけはチェコの友人たちに話せなかった理由として
「逃げ場のある人と逃げ場の無い人では対話は本質的に成立しないんですよ」
小野田氏は全財産とパスポートの件について、「言うのも恥ずかしいことですが」と前置きしていましたが
自分は恵まれているを自覚して、チェコの友人たちに手を貸して
幼時から苦境に耐えていた女子学生に同情し、嫁にしちゃい、オトコが彼女の国に埋没した
日本に帰れば、経歴活かして、学問で高い評価獲得出来たろうに、商社駐在員に甘んじた
どんだけ男前ですか~
恵まれているを自覚せず、高見からエラソーな人生訓の、現代の小娘青二才こそ真に恥ずべき存在ですがな




逃げ場のある無いといえば





イメージ 2






大っ嫌いなヒッピー文化の、負の部分を集大成みたいな、チャールズ・マンソン(右側)
その息子であると告白したマシュー・ロバーツ(左側)
マンソンに一つだけ同情するとしたら、『父親不在』
マンソンの父親は、実母の商売柄、彼女自身にも不明であったはずですな
その点、養子ながら両親の揃った温かい家庭に育ったマシューは幸運だったものの
「マンソンを愛していたくはありませんが、嫌うようなこともしたくありません」
マシューが実父について葛藤を抱えているように
父親の存在は男の子にとって、大人の男になるための見本であって、いい加減な真似は許されないのですよ




女の子でも
マリリン・モンローが、実父の居場所を知り、連絡を取ったら
電話に出た女性は、夫に取りついでくれたが
何か話あるのなら、弁護士まで。夫からその旨を伝えられたそうな
娘をタカリ屋と思ったらしいクソ親父、何が腹立つって
後年、危篤に陥った際(その後、回復した)、娘に一目会いたいと言い出したこと
マリリンが世界的有名人になっていたからだろ?
マリリンの母親に「妻に相応しくない」と言い切り、幼い娘には会おうともしなかったくせに、図々しいんだよ
生涯、父親的強い男性に憧れていたマリリンですが
有名人になってからは、自分が男性を拒絶する立場を手に入れたので
クソ親父なんて「どなたでしょうか。存知上げませんわ」、キッパリ拒絶したのは言うまでもありますまい




有名人である娘が親父を拒絶したといえば










西ドイツ出身の国際派女優ナスターシャ・キンスキー
怪優クラウス・キンスキーの娘で、全員母親の違う4人姉弟の次女
ナスターシャの母親は、16歳で娘を生んだ。夫と別れた後、若い母娘はかなり苦労したみたいね
1980年、ナスターシャの来日時、クラウスが映画撮影のため東京に滞在していた
娘の記者会見に顔出したいと申し入れしたら、娘は「アタシを利用しようとしてるのよ」と拒絶した




ナスターシャの通訳を務めた映画字幕翻訳家、戸田奈津子おばさんいわく
「都内の公園での撮影中、ナスターシャは捨て猫ちゃんを見つけたの
真っ白いドレスが汚れるのも気にせず、猫ちゃんを胸に抱いていたわ
あのコ、よほど寂しい少女時代を送ったんでしょうね」




1984年、ナスターシャは未婚の母(シングルマザーなどと横文字では言わなかった時代)になった
息子の誕生後に、彼の父親であるエジプト人プロデューサーと結婚、さらに娘も生まれた
家庭守る努力は必死でやったようですがね
離婚家庭の子供はどうしても、両親の揃った家庭がイメージ難しいとあって
やれ別居だ離婚だ、海を越えての親権争いだに明け暮れた挙げ句
1990年代、新たにケニヤという息子をもうけた相手というのが










30歳近く年上の、米国音楽界の大御所クインシー・ジョーンズ先生とは…




子供の人生を左右する親の責任はどれだけ重いか、わかった?