mathichen独話【Hatena版】

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人生を豊かにする楽の調べを新世界より

ちょっくらクラシックをば
 
 
 
 
 
 
 
娘役にはオバちゃんすぎる容姿ながら、舞台に立つとパッと華やか、観ていて楽しくなる
旦那との約束により、50歳の若さで現役引退。NY中のファンが惜しんだそうな
 
 
引退後
1980年に引退後は、1991年までニューヨーク・シティ歌劇場のゼネラル・マネージャーを勤め、当時経済的に苦境にあった同劇場が、企業として独立できるように尽力した。1994年から2000年までリンカーン・センターの会長を務めている。数々の芸術問題や、慈善団体“March of Dimes”による福祉事業にも献身を惜しまなかった。2002年にメトロポリタン歌劇場の委員長を務めるために復職したが、2005年1月に家庭の事情により辞職した。それまで8年にわたって彼女が老人ホームで介護を続けていた夫を喪ったからである。...
 
...肺がんを患い、2007年7月2日にニューヨークの自宅にて死去。78歳だった。
 
Wikipedia:『ビヴァリー・シルズ』より引用 )
 
 
 
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指揮者のトーマス・シッパーズ
1967年の♪ワルキューレ日本初演3回中を2回だけ、NHK交響楽団とケンカのためは置き
 
 
 
ハリウッドスターを本気で目指したイケメンから、1950年代にNYメトロポリタン歌劇場指揮者入りするも
当時の総支配人は、欧州の名指揮者に大枚はたく主義、米国の若造は冷や飯食い
1970年にシンシナティ交響楽団常任指揮者の地位を得て
同楽団とは数回録音を行い、国際的な名声を築き上げたけど
1977年に肺癌のために急死し、短い生涯は悲劇的な幕切れを遂げた
 
 
 
1976年のクリスマス頃、NY社交界花形出身美女であった嫁がわずか34歳の早世
シンシナティ市民が後に泣いたのは、病身の嫁がマダムの役割を最期まで果たしたこと
米国の楽団シェフ夫妻は、特に中小都市の場合、町の名士
米国初の黒人シェフが白人の嫁もらったのは、聴衆との橋渡しお願いします大きい
それくらいマダムの存在は強力であり、NY社交界出身はコツを自然に心得ていた
で、最後の力振り絞って病院から抜け出し、楽団主催クリスマス会のおもてなしを務めた
死期間際を客人の誰にも悟らせないまでの明るい笑顔の別嬪さんぶりをもって
 
 
 
オーケストラが感謝したのは、上層中流出身シッパーズの大いなる遺産
子供いなかったから、「愛するシンシナティ交響楽団へ」の書類を遺した
どっかの因業な極東島国と違い、米国の税法は寄付には非課税(当たり前じゃ)
ご無体な極東経済力の影響から不況に陥っていた当時の米国だけに
経営難に苦しんでいた楽団は存続の危機から救われたのですよ
 
 
 
シルズは多分、旦那を見送って虚脱状態に陥り、愛する芸術支援活動への意欲も喪われたのでしょう
シッパーズも、病魔がいつ巣食ったにせよ、嫁の早世が気力喪失となり自らも早世じゃないですかね
 
 
 
欧州の福祉先進国では真の個人主義により、被介護者は第二義で、その周囲の者への支援が第一義
被介護者の身の安全守るためにも、関わる者の人生を守るのが先決だから
キリスト教が何かと負の歴史を抱える一方で育んだ慈悲の精神
上っ面だけ整えた葬式仏教国は見習うべきですね