mathichen独話【Hatena版】

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メコン河を想像の下アタシの記憶は未来へと流れる

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パンは結局、昨日の昼間、そのままカブリついて食った
この食パンは元々、≪マルガリータ≫のものじゃなくて(店で出すパンは、バゲット
中央環状線はさんで向かい側にある、お馬さん好きカレー屋さんのお裾分けをさらに分けたもの
カレー屋さんは夜遅くにしか来ず、アタシは火曜日の宵のうちにもらって帰ったから
お裾分けは、月曜日の夜かしらん
となると、パン作られたのは???まァ、その日のうちだと思うけど
金曜日にそのまま食べるなんか、その辺のオナカ弱い期限信仰主婦には死んでも出来ないだろよ




マルガリータ≫といえば、巨人好きオーナー33歳、店舗より人増やせ
「オーナー、宮澤ミシェル似てるで」と言ってやったら、「頭がでしょ~」と自分で認めたくらいだから(顔もだ~)
ブラック企業みたいなもんよ~」と、社員の前で開き直ってるのはわかるものの
セレッソ応援団にはモッタイナイ美人の奥さんにもちゃんと給料払えよ~




宮澤ミシェルといえば、親父のデデ・モンマルトル、憶えてるのが恐ろしい47歳




【毎日が夏休み、何もワザワザ】(2009年7月14日本館)
Juliette Gréco - Sous le ciel de Paris - Paroles (Lyrics)
グレコ、ドイツの某強制収容所数少ない生き残り。は置いといて
「何処で覚えたのか中学生のころ、音楽室でこの曲をピアノで遊びながら弾いていたのを思い出しました。
アコーディオンのほうが感じがでたかもですね。」
レッズおばさんなら、1974年にクライフ師匠と出逢った中学生とあって、もっと憶えてると思う(怒られる)
アタシが一番最初に聴いたのは、モモエちゃんの‘赤い疑惑
パリの叔母様(岸恵子)場面や、モモエちゃんのパリ訪問場面に、アコーディオン演奏でだ
モンマルトル演奏を聴いたのは、1980年夏休み、NHKの映画音楽特集3時間番組
‘巴里の空の下セーヌは流れる’主題歌なのよっての
いかにも巴里の下町で路上演奏してそうなオッサンと書けば?




てか、息子ミシェルの誕生日が1963年7月14日、巴里祭(正確には、フランス革命記念日)、面白過ぎる…
「演奏旅行で来日した際に日本人女性(のちの宮澤の母)と知り合って結婚。
そのまま永住したが、宮澤によれば、日本に馴染もうという気はさらさら無く、
『おはよう』と『こんにちは』くらいしか覚えず、味噌汁1杯も飲まなかった、という。
逆に息子の宮澤は日本生まれの日本育ち、フランスへは試合でしか行った事がなく、日本語しか解さない。」
(大賢者Wikipedia様より)
父ちゃん、さすがフランス人だねぇの我が道を行く(ところで、お母さんが、バイリンガルだったのかしらん)
「千葉県立市原緑高校時代の1981年にびわ湖国体で、
国体史上初の外国籍選手として出場(当時日本は父系血統主義だったのでフランス国籍)。」
サッカー他でも、現代以上に、偏狭な国だったもんな
両親が結婚していたおかげで、フランス国籍得られただけ、ミシェルは恵まれていたと思う
父系血統主義の場合、外国人の彼と別れてシンママなんてやってみろ、無国籍になる恐れ高かったんだぞ




フランスといえば、ベトナム旧宗主国
似た者同士なので、どちらも新興成金である米国を馬鹿にしていた
もっと馬鹿なのは、ベトナムが、米国との戦争で勝利した唯一の国と思い込んでいる日本人
あの戦争はベトナムが勝ったというより、米国の自滅よ
三国志の世界に、本国限定のアメリカン・デモクラシー持ち込んでも無効
占い好きのベトナム人に、厄日の戦闘命じてもヤル気起きるかいな
旧宗主国、四千年の隣国が食の二大師匠国で、マクドがスカッと爽やか☆に流し込まれて浸透するわけもなし




米国の名誉のために書くと、アメリカン・デモクラシーが外国に役立つことは時にはある
ベトナム戦災孤児を米軍大型輸送機に満載して、米国へと運ぶ直前、サイゴン郊外に墜落、それは悲劇だが
戦災孤児を何故、米国へと運ぼうとしたのか、よーく考えてみろ
中流以上マダムの自己満足の材料とされながらも、孤児たちは飢死だけはせずに生き延びられ
幸福の機会を得られるというか、不幸を軽減するというか、将来の安心保証を得られるかもしれない
自らは観覧席にゆったり腰を下ろし、ご高説の後には銀座で接待受けているような、日本の著名人にだけは
日本大使館員が現地で得た妻子すら、邦人優先を盾に、救援機に乗せないと言い出した国だけには
方法に行き過ぎはあったにせよ、孤児たちを救おうとした米国を偽善者呼ばわりする資格があると思うかえ?




(南)国営ベトナム通信社の元編集長が、北からの避難民について
南ベトナムを堕落させたのは北から来た連中にも責任はある
皆、口をきわめて反共主義を唱えているが、実際はイデオロギーなんかお構いなしだ
ただ、楽がしたい、美味しい物を食べたいという理由で生まれ故郷を捨てただけ
いま南にいる北避難民から北ベトナム人を判断するな
サイゴンで羽振りを利かせている連中の多くは北でもクズだった連中だから」
この元編集長、彼自身が北出身者だが、避難民ではない
1954年のジュネーブ協定以前に、ハノイベトナム通信のサイゴン特派員として南に赴任し、そのまま居着いた
北は確かに南と比べて自然や生活の環境が厳しかったが、政治や戦争に関わらず故郷で生き続ける北の人々
元編集長は見知っていただけに、同郷者への目が厳しかったといえる




サイゴン陥落前の国外脱出組は多かった一方、自分の意志で居残り組も多かった
どちらが良い悪いとは言えない。ただ、脱出組の一部には、疑問が残る
後年、里帰りした際、「相変わらず貧しいな。自分たちは、米国に感謝せねば」
移住は年齢が低ければ低いほど、移住先への忠誠心が強く、1975年当時の子供なら致し方ない
大人の場合、アナタ方は貧しかったのか?政変以前に脱出出来たのは、米国にコネ持つおかげ様でしょが?
米国からの最後の救援機が、目の前で飛び立ち、数年以上苦労後に米国移住出来た少年がいた
この少年、父親がアメリカ人。彼こそ、救援機に早々と乗る資格あった気がするわ
アメラジアンの子供たちは、一族郎党の合法出国の材料にされやすかったのも事実ながら
家族の手で差別から守られ、西洋系風貌を活かし、欧米人役専門俳優として出世した子いるのも事実を追記
南の人たちの中にも、国外脱出組への目は厳しいが見られるかもね




持てる者が高説述べるのは控えろといえば
『主人の兄弟夫婦の不妊治療にカンパすべきか?』(ヤホー知恵袋)
質問者は反対した。質問者の夫、「本当、持てる者はバカで傲慢だね」
ベストアンサーさんが不妊治療行った妻持つ男性だけに、その差は歴然だ




個人的には、医療の発達が、夫婦仲や家族関係に苦労の種バラまいていると思う
夫婦がどうしても子供欲しくて、不妊治療に精魂傾けている。これは、OK
不妊治療に理解なく、「授かり物。自然が一番」と、嫁や娘に心ない姑や実家のママも困り者だが
不妊治療に追い込むような重圧かけてまで、跡取りだ孫フィーバーだにこだわる一族郎党は異常だよ
こういう連中じゃねえのか?デキ婚を認めるなら認めるでもいいが、子供を説教せずして、親孝行と呼ぶのは?
子供出来なかったが本家長男嫁を全う出来た、ジジィ側お祖母ちゃんの末妹の時代の方がマシよ